所長のエッセイ

所長のエッセイ

私の応援歌『赤とんぼ』 

『赤とんぼ』、叙情感あふれるこの童謡の名作が私は好きだ。八方塞がりに陥ったとき、いつもこのメロディを口ずさんできた。そのたびに 元気づけられ、坐きる勇気が湧いてきた。
自身の幼き日の思い出を、この唱歌にしたのは三木露風である。露風の母は彼が七歳のときに家を出ている。そのため祖父の家に引き取られ、お手伝いの姉やに養育されたという。露風は赤とんほが飛ぶ風景を子守娘に負われて見ていた。
西の空が夕焼けに染まる寒露も過ぎた日、とんほが二匹仲むつまじそうに飛んでいた。私はおもわず 『赤とんぼ』をハミングする。折につけ、いつも心の中にある故郷の原風景の残影が浮かぶ。すでに過去になった父への思慕だ。父は幼い私を自転車に乗せ、コスモスの花が野を彩り秋草がゆれている浜道まで、よく遊びに連れて行ってくれた。駆け抜けていく銀輪のわきには火のように燃えている彼岸花が咲いていた。
秋祭りも終り、人影のとだえた道ぱたでススキ採りもした。タ日が、天高く青々とした秋晴れの澄みわたった空を、真っ赤に染めている。美しい夕焼け空を見るたびに、赤とんぽを追いかけながら父と歌ったあの日を思い出す。故郷の浜道で、今も親子で歌う『赤とんぼ』の童謡が聞こえてくるようだ。いたずらに騒がしく日を送る私に、タ焼けのひとときだけは特別な感傷があった。
露風は、『赤とんぼ』をトラピスト修道院講師の時に住んでいた函館で作詞している。北国の美しいタ焼けに惨む赤とんぽに、幼い露風を手放さねばならなかった母の悲愁と、故郷たつの市への郷愁の情をつのらせたのであろうか。
北原白秋とともに白露時代を築いたこの偉大な詩人は、後世の私たちに宝物を残してくれた。『赤とんぼ』の歌が、世代を超えて親子で歌い継がれる応援歌であるようにと心から願う。

所長 諌山静香