所長のエッセイ

所長のエッセイ

脱「知識メタボリック」を目指して

『1年の計は元旦にあり』と言われます。私は正月休みにメディアからもヒントを得ようとテレビを見たり、いろいろな新聞・雑誌に目を通したりしました。その中で衝撃を受けたのが、サンデー毎日の著者インタビューでした。英文学者でありエッセイストとしても有名な外山滋比古先生(お茶の水女子大学名誉教授)の新刊を紹介する記事でした。外山先生は1923年のお生れですから、もう90歳に近い御歳です。にもかかわらず、その新鮮な発想と意欲に、私はこころを打たれずにはいられませんでした。
外山先生曰く「人間は、知識が多くなると、だんだん考えなくなる傾向があると思う」。新しく成長していく人にとって、知識自体を理解して、なるべくたくさん頭の中に入れて社会で仕事をしていくのは重要ではあるけれど、ものを作り出す力は知識それ自体にはない。そこに「考える」という作業が必要になるという論旨です。
「これだ!」と私は膝を打ちました。私自身、幼児期・学童期の教育に長年携わる中で、自分の頭で考えることの大切さを痛感してきたからです。たとえば子供に、算数の問題の解き方を知識として教えると、その問題は解けるようになります。しかしその子は、別の問題になると解けません。解き方をパターンとして覚えているだけなので、見たことのない問題は解けないのです。知識自体を教えることは、即効性こそありますが、応用が利かないという欠点が一方であるのです。
また現代ではコンピュータが発達し、人間の頭よりはるかに多くのことを記憶し、それを瞬時に再生できるようになりました。この点ではいくら頑張っても人間は勝てません。実際に、すでに世の中には人間の処理能力を超えた情報があふれ、その中で本当に有用なものを見つけるのが難しくなっています。(外山先生はこれを「知識メタボリックよ、さらば!」と呼んでおられます)。
このような状況では、コンピュータにできないこと、つまり創造的に「考える」ことがますます重要になってくるように思われます。本を読むにしても、どのように読むか、そこに書かれた情報をどれだけ精選し、いかに活用するかを考えることが必要になるのではないでしょうか。
「考えることは、なかなかに面倒くさいことです。でもそれは、人生を面白くするモトでもある」とも外山先生は仰います。そのうえで「考えるのは、能率は悪いかもしれないが、長い目で見れば、得るところは大きい。この不況の時代、体力に代わる気力で考え、困難を乗り越えていけば、新しいプラスの人生が見えてくる。人は困難を乗り越えて行く過程で、思いも寄らないパワーを発揮するものだ」と結んでおられました。
インタビューを読み、われわれ「ジーニアスたけのこ会」も「考える」教育を今後いっそう広め、深めていけるよう研鑽を積んでいこう、との思いを新たにした次第です。